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2014.06.30

梅木平古墳

夏の来る前に、ちょっとだけ旅を・・・と、古墳散策してきました。自分の住む場所から北、東、西と数回に分けての探険です。

まずは、東の三原・本郷へ。
ここは、吉備王国の勢力圏であったろう場所で、沼田川沿いに点在しています。
川沿いや海岸線に古墳がよくみられます。その発生や意味にはいろいろな説がありますが、もともと神聖とされる場所(クニの発生以前にも遡れるだろう古い居住地や墓地)に結界として古墳が配置されたという考えがあるようです。
「貞丸古墳」(三原市本郷町)
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1号古墳は修復整備されています。古墳時代後期(六世紀末〜七世紀初)の築造とされる円墳。横穴式石室には石棺本体が残っています。
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2号古墳は崩れた状態。
近くの寺にあった石碑の台座が、どうやら石棺の蓋のよう。
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(貞丸古墳のものとは合致しないらしいですが、同年代のものと推定されています)
近くに、「二本松古墳」があり、南方神社の境内に石棺が復元されて置いてありました。
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もともとは拝殿の踏み石と、手水鉢として使用されていたようです。(そのまま使われていたほうが面白いのに・・)
続いて、「御年代古墳」(三原市本郷町)
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大きめの円墳で、築造は七世紀中頃
横穴式石室に縦方向へ並べて石棺が配置されているのは珍しい。
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そしてこの散策のメインである、
「梅木平古墳」(三原市本郷下北方)
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石室入口が露出。七世紀初めの円墳と推定。墳墓そのものは崩れているようですが、
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奥行き13m、石棺の置かれる玄室内は6m。高さが4mと、その石室の広さに驚かされます。
三原は古から人が居住していた場所とされ、鎌倉から戦国時代に小早川氏の居城が(本郷・その後に三原)あったように、代々有力な豪族の支配域であったと思われます。
吉備国と阿岐国の境でもあって、興味深い場所です。

常磐神社の境内には、
00dscf3213 石棺の蓋
長円寺の庭に、
00dscf3209 石棺の身が実用として使われていて、とても面白い風景。
こんなのもポツンとありました。
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千寿彦さんと、万寿姫さん。
次回は、北へ向かいます。
             Puce

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